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    藤原正彦 (新潮新書)

    最高(50点)
    2008年7月12日
    ひっちぃ

    論理はあくまで論理でしかなく、前提の置き方を誤れば間違った結論にしかたどり着けない。英語はあくまで伝達手段でしかなく、伝えるべき中身がなければ空虚なものとなる。数学者が語る、世の中にとって本当に必要なこと、それを示すべき日本のありようを主張した本。

    百何十部だか売れた近年稀に見るベストセラーとなった本書。周りの評判もそこそこ良かったのでいつか読もうと思っていたらブックオフで105円で置いてあったので買って読んでみた。

    思ったより主張の内容が少なかったが、よく言えば何を言いたいのかが非常にすっきりとまとめられた良書だった。この評の最初の段落で大体まとめてしまったとおりの内容となっている。

    目からうろこが落ちたといえば大げさになってしまうが、前提の間違った論理は間違った結論しか導かないという考えて見れば当たり前のことが、非常に説得力があって少し感動した。

    最初の例はこうだ。

    1. アメリカ国民は社会に出ると必ずタイプライターを打つ。

    2. 英語の時間にタイプライターの実習をすると良い。

    その結果、国語力を養う時間を削って代わりにタイプライターを打つ練習をさせたため、肝心の国語力が失われ、簡単な単語のスペルでさえ間違える子供が多く生まれた。

    私たちはそんなアメリカを笑えない。上の例はどこかで聞いたことのある話だと思ったら、日本の英語教育重視とまったく同じパターンなのだ。

    まあこの例だと単に物事の順序付けをしなかっただけじゃないかという突っ込みもあるだろうと思う。ただ、論理というのはあくまで推論を行うためのツールであって、何が本当に正しいのかということは長年培われた常識や自然や超越した何かがもとになって決まるのだということ。それが日本の場合は武士道の精神にあるのだと作者は言っている。

    例として惻隠の情を上げている。弱いものいじめをしないこと。これには理屈はない。自然や美しいものを見つめていればおのずと身につく、と作者は言っている。だが私ならこう理屈づける。それらは時間のふるいにかけられて残ったものなのだからだと。姦淫が悪いと定めた宗教がこれだけ世に広まっているのは、それがその社会の安定に大きく寄与したからだろう。それを論理でいくらでも説明することも出来るが、突き詰めていけば結果論にしかならない。

    会津藩の藩校の教えの最後が「ならぬことはならぬものです」と結ばれていることが紹介されている。キリスト教圏の人々がまるで思考停止したかのように神の教えを振りかざすのも同じ理由だろう。これは理屈ではないのだ。進化論的な自然淘汰の理屈と言ってもいいと私は思うのだけど、作者はそこまで言っていないのでここでとめておく。

    作者は手を換え品を換え、民主主義や資本主義のなりたちなどからも説明している。今の世の中で正しいと信じられてきていることをズバッと切り捨てているところが気持ちいい。カルヴァン派がどうの、プロテスタントの考え方が資本主義を作っただの、ちょっと難しい大学の教養課程ぐらいの内容を平易に噛み砕いて説明している。

    数学者なんて数式しか知らない専門バカなんじゃないかと思う人は多いと思う。数式や論理をこねくりまわして定理から定理を作って証明するだけなんじゃないかと思いがちではないか。しかし数学者だからこそ、作者も言っているように公理系が違えばあらゆる定理が違ってくることもごく当たり前の感覚として持っているものである。

    有名なものだと非ユークリッド幾何学みたいに、並行する二本の直線が交わるという公理(前提)を定めてしまえば、そこから導き出される定理(結論)は普段我々が身近に使っている普通の幾何学とはまったく異なる幾何学が出来上がる。

    こういう言い方をすると作者に少し悪いかもしれないが、作者が数学者だったからこそこの考え方がはっきりと頭の中に出来上がったのだと思う。

    講演を元にしたせいか若干構成のすっきりしない点があるようにも思うが、まさに売れるべくして売れた名著といって良いのではないだろうか。欲を言えば日本の悪い点についての言及もあってほしかったが、本書のテーマからするともちろんそれは無くて当然である。

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