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大和撫子はどこへ消えた

八木秀次 (わしズム 創刊2号)

最高(50点)
2002年9月8日
ひっちぃ

昔の日本人女性いわゆる「大和撫子」がどういうものだったのかを、主に外国人からの憧憬を含んだ目で説明している。また、女性を蔑視してるかのような日本の家父長制度や女性教育には、家を中心とした日本の社会を守るためだったと分析している。

いきなり現代女性の批判をしているから、紋切り型のつまらない文章が続くのかと思ったら、これは単なる前置きだった。

ムスメという単語がたちまち英語やフランス語になったという。そのムスメとは、まるでファンタジーのごとく、質素で控え目なのに気品があり愛想もあったそうだ。外国人たちはムスメたちに対して、造形的な美こそ感じなかったが、こぎれいでこざっぱりしたかわいらしさに魅せられたという。もうこの文章を読むだけでムスメの雰囲気がまるで映画を見ているかのように伝わってくる。

過不足ない文章でいくつかの文献をかいつまんで引用している。無理に要約すると、西洋の恋愛や結婚や家庭のなりたちとはまったく異なる一つのシステムが日本にはあり、そのシステムは権力や義務といった明文化されたもの以上の何かを持っており、全体的に見て女性はむしろ家庭の独裁者であったと言っている。

日本では縄文時代から家庭では実は女性が大きな影響力を持っていた、という文章を河合隼雄の本で読んだことがあるのだが、それは国内ことを研究している学者の言葉だった。今回興味深かったのは、日本のこの不思議なシステムを見た外国人たちの言葉が集められていたことだった。

そして最後に吉田松陰などの日本の学者の言葉を引用している。どんな子供も母親がまず育てるのだから母親を重点的に教育しなければならない。女性は未来の人を生み出す存在であると。

結びに、日本の現代の女性に対して、自分が未来の人が眠っているという自覚があるのか、と問うている。著者はここまでは言っていないが、これを読んだ私はこう思った。女性の堕落こそが、社会の堕落を最も速く進めてしまうのだろう。

男は多少幼児臭くても全然オッケー。

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