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灼眼のシャナ

高橋弥七郎 (電撃文庫)

まあまあ(10点)
2006年8月2日
ひっちぃ

主人公の男子高校生・悠二が異界の少女と出会い、自分や世界の儚い本当の姿を知らされて愕然としつつもそれなりに仲良く暮らし、二人を狙う存在・フリアグネを撃退しようとする話。

電撃文庫に収められるシリーズ作品の一作目で、いわゆるライトノベルである。谷川流「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズが面白かったので、同じライトノベルでいま他にどんな面白い作品があるのだろうと、テレビなんかで比較的露出の高い本作品を一冊買って読んでみた。

まずヒロインのシャナがビジュアル的に素晴らしい。それは単に言葉で「美少女」と説明する安易な表現ではなく、フレイムヘイズという名の存在であるところの外見的な特徴がとてもいい。題名にある「灼眼」というのはどうやら戦闘モードに入ると瞳が燃えているようになるところから来ているのだろうが、それよりも灼髪のほうが文章を読んでいるだけで絵が想像できる。彼女が動いて髪が揺れるたびに火の粉がはぜる。日本刀のような大太刀を持っているのもいい。

幼児体型に白磁のような体というのはちょっと引かなくもないが、性格はいわゆるツンデレで、最初は主人公のことをモノのように扱うところなど、かなりハードな性格をしている。普段は無表情あるいは厳しい表情をしているのだが、おいしいもの特にメロンパンを食べるときは顔がガクンと緩むという設定もツボを抑えていて素晴らしい。

世界設定がよく出来ている。存在の力というものがあって、それを食い荒らして活動する異世界の輩がいて、そいつらを退治する存在がいる。特に「トーチ」という概念はとても物悲しく、この作品の肝となっている。ちょっと話は外れるが、「鋼の錬金術師」という作品がブレイクしたのは狂った研究者が自分の娘を飼い犬と合体させてしまうというとても残酷で悲しいエピソードがきっかけだったと私は考えていているのだが、本作についてもこの「トーチ」という概念がよく出来ていて物悲しいからだと思う。ここで説明してもフーンという感じだし作品の興を殺ぐだろうからここでは書かないことにする。

以上、ここまではだいぶ褒めまくってしまったが、実のところこの作品はそんなに面白くはなかった。以下は批判点である。

まず剣戟アクションは文章で楽しむものではないなと思った。シャナがどんな動作で敵と戦っているのか、文章を追って思い描いて見るのだが、これが結構苦痛なのだ。池波正太郎とかの剣豪小説をほとんど読まない私のような読者の問題なのかもしれない。

これだけハードコアなツンデレのシャナの性格がいまいち分かりにくい。ここまでツンなのにあそこでデレるのが納得いかない。だいぶチカラを入れて書いているのが伝わってくるのだが、不自然さが終始感じられた。はっきりいって作者の技量不足の面が大きいと思うのだが、記号を使いすぎているせいだとも思う。キャラ萌えな人たちは、自分たちがこれまでに鑑賞してきた作品群を引いて記号を展開して楽しむから、これくらいのバランスでいいのかもしれない。しかし私のようなこの手の作品についてのライブラリーの少ない読者は、それらの記号を字面どおりの表現としてしか解釈できない。

ストーリーが薄い。三百ページ近くもあるのに、三回ぐらい戦いがあって、その間に日常のエピソードがあるぐらい。日常会話やクラスメイトが薄っぺらい。シャナが文武両道なのはこの分野のヒロインの能力がインフレを起こしているからだろうか。吉田さんというキャラも安直過ぎる。そして多分一番私が気に入らないのが、主人公・悠二の思考だ。「嫌い」の半分くらいは悠二の思考を通じて恥ずかしい青春を思い出すからだと思うが、残りの半分はぐちゃぐちゃした思考の道筋とか、悩みへの結論の付け方が納得いかないとか、色々な意味での安易さが感じられるからだ。恐らく言葉では表現しにくいつながりを描きたかったのだと思うのだが、もっと色んな表現ができなかったのだろうか。

最近の小説は一人称を複数の人物にさせる手法がよく使われ、これまでの小説技法のタブーを犯していると口やかましく言う人がいる。私はこの手法に肯定的なのだが、やはりなぜこれまで行われなかったのかということを考えて慎重にやってほしいと思う。

私は「ライトノベル」という言葉が嫌いで、ここまで自分たちを卑下してまでラベル付けをするのかとイライラする。でも多分この言葉はマーケティング上のもので、普通の小説よりも軽いから読みやすいよと言っているだけなのだと思いたい。というのを前提にして敢えて言わせてもらえば、本作は色んな意味でライトノベルらしい特徴を持っている。私が漠然と考えるライトノベルの特徴は、アニメ化されることを前提に書かかれている、もしくはアニメの脚本とコンテの文章表現のつもりで書かれていることだ。私はそういう作品が大嫌いだ。文芸の一つであることは認めても、自分が読みたいとは思わない。多分この人たちは一人で脳内アニメを作りたいのだろうし、読者も既存のアニメに感じる物足りなさをこのような周辺分野の作品で埋め合わせているのだろう。それはそれで幸せな関係かもしれない。

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