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累(かさね) 4巻まで
早逝した大女優・淵透世の娘・累(かさね)の顔は醜く、学校でひどくいじめられていた。学芸会で主演を強要され、いい演技をするが途中で引き下ろされる。彼女は母親の幻影に導かれて形見の口紅を使う。その口紅は自分と他人の顔を一定時間だけ交換する不思議な力を持っていた。青年マンガ。

海外の声を翻訳して紹介するブログでこの作品のことを推すコメントが複数あって目立ったので読んでみた。すごく面白かったので既刊分一気に読んだ。表紙の絵が女同士のキスを描いた水彩画風のマンガ絵でとても美しくて魅了される。

醜い女が不思議な力を使って美しい女の顔を奪う。そうしないと人並み以上の幸せが得られないから。美醜の問題に真っ向から立ち向かった作品が出たか!と思ったらそういうわけではなさそう。母親の遺伝子を引き継いだ彼女が、美しい女の顔を借りて舞台演劇の世界で成功しようとし、夢と人並みの幸せを求めながらも苦悩する物語なのだった。

なぜそうなるのかというと、人並み以上の幸せを手に入れるには口紅の力を使うしかないのだけど、この口紅は交換したい顔を持つ相手とキスをしなければならない。しかしそう何度も何度も薬を盛るなどして強引にキスできるものではない。そこへ母親の旧友の演出家を名乗る不気味な男が主人公の累の前に現れ、一つの提案をする。美しいのに才能のない女優の代わりに舞台に出ないかと。

こうして「丹沢ニナ」という女優の卵の顔を借りることになった累は、ニナのしぐさやクセをまねて本人になりきり、演劇の世界で成功していく。しかし本物のニナは危機感を覚える。自分の手を離れて勝手に歩き出してしまった「丹沢ニナ」の女優としての虚像をめぐり、二人の女が争うことになる。

この作品は不思議な力を持った口紅というSF的な要素が入っている。これ整形して入れ替わっちゃえばいいんじゃないの?と思うかもしれない。しかし、いったん顔が変わって落ち着けばほぼノーリスクになる整形と違い、一度の入れ替わりが半日しか持たず、毎日入れ替わりの儀式をしなければならないことにより、いつまでたっても自分が虚像をまとって生きていかなければならない。舞台の下では「丹沢ニナ」を本人に返さなければならないから。こうして必然的に主人公の累は、舞台の上の虚像をかみしめて生きていくことになる。

そんな悲劇的な運命を持った主人公の累の一生懸命に生きている姿と、少しずつ女優として成功していく展開がこの作品の一番の魅力だと思う。

でもそれはそれとして、なにか呑み込めないものがいくつかこの作品にはあるなあと読みながら思っていた。一言で言うと、主人公の累の気持ちがよく分からなかった。

思春期の頃は、自分が恋愛を楽しめるほどの容姿かどうか悩むものだと思う。自分が人並み以上の容姿を持っていてなおかつそれを自覚できる人というのはせいぜい一割か二割ぐらいなんじゃないだろうか。だとしてじゃあ残りのみんなはこの作品の主人公の累に感情移入できるかというと、そうはならないと思う。彼女のほうが悲惨すぎるから。

美人で能力があって人望まである演劇部部長が高校編で出てくる。こいつはいままでの人と違って累にやさしく接してくる。この部長のおかげで一時的にいじめがなくなり、累は演劇部でもなんとかやっていく。しかしそれはこの部長が美人だからだ、と累は思う。そして陰で再びいじめが始まり、やはり自分には人並みの生き方は無理なのだと絶望する。

結局この作品はなにを描いているのだろう。少なくとも美醜の問題を描いてはないし、人間は心とか中身が大切なんだということを言ってもいない。ただ、累という女がそのままではまともに生きられないことを理由づけている。整理してみるとそういう結論になる。作中で累が、美人は得だとかいうのを意識しつづけるので惑わされるけれど、それは本質ではないと思う。

じゃあ虚像を演じることの是非を論じているのかというとそういうわけでもないように見える。人間誰でも他人にいい顔をしたくなるし、そんな虚像がみんなから受け入れられると、自分の本当の姿との乖離で悩むことになる。そういったペルソナの問題を扱っているのかというとそうでもない。なぜならそれはあくまで心の問題だから。

となるとこの作品は、演劇と恋と友情に打ち込むヒロインの生き様を描いていることになる。悲惨な境遇だからこそ、演劇という特別な世界だけでなく、恋や友情にも本気になって精一杯生きようとしている姿に惹かれる。

でも今度は主人公の累の個性、性格や考え方がよくわからなくてモヤモヤする。自分のことを軽蔑していた(?)ニナやかつてのいじめっ子に対する気持ちについて作中で語られるのだけど、なにやら中途半端でよくわからない。

演劇ものを描きたいのかというとそういうわけでもなさそうで、演劇に関する細かい描写はほとんど出てこない。それに、劇中劇でチェーホフの「かもめ」やらオスカー・ワイルドの「サロメ」やらが出てきて、主人公の累の生き方をほのめかしているかのようなセリフの数々が出てくるのだけど、結局それらが累にどのように紐づいているのか自分にはよく分からなかった。それっぽいだけで累の気持ちとはズレているんじゃないだろうか。それとも自分が累の中に渦巻いている激しい気持ちを読み取れていないからそう思ってしまうんだろうか。

作者が何を描きたいのか分からないからなんとも言えないけれど、累がもっと微妙なブサイクだったほうが色々分かりやすかったと思う。でもって、美人になったときとブサイクのままのときとで同じ人がどのように態度を変えるのかとか、そういうのをネチネチと描いていった方が面白かったんじゃないだろうかと想像してしまう。

絵がちょっと古い感じがする。手塚治虫を思い出した。手塚治虫を少し現代的にした感じ。累やニナの描き方なんかが特に。うまいと思う。

この作品が圧倒的にドラマチックで面白いのは確かで、細かいことなんてどうでもよくなってしまう。累がこれからどうなっていくのか楽しみでしょうがない。
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